寝坊助な妻をみて、毎朝 僕が泣く理由
22:00に就寝し、6:00起床。
基本、8時間睡眠の僕。
毎朝の日課は家族を起こすこと
朝起きてすぐに、お腹に溜まりに溜まったブツを、純白の受け皿に爆弾の如く投下。
お腹がスッキリしたところで、寝坊助の妻を、何度も、何度も……起こす。
そして、小学2年生になる長女、保育園に行く次女を起こしていく。もちろん、起こすと言っても、そう単純な話ではない。
寝坊助の妻に似て、長女も寝坊助。重たい目をコスりながら、2階から1階へと続く築4年目であるにも関わらず、すでに落書きだらけの階段をフラフラと降りた先のリビングにあるオシャレなカリモクの薄汚れてしまったソファーでバタリという音を鳴らす長女。
長女、二度寝開始の知らせ。
次女は、朝とわかった瞬間に、「保育園行きたくない!」という耳を塞ぎたくなるほどの警報音を高らかに鳴らし始める。
そんな次女の警報音に耳をぶち壊されながら、僕は4人分(僕、妻、長女、次女)の朝食作りを始める。
そうこうしているうちに、妻がようやく起きた。それに続くように長女も起きた。しかし、長女の学校までの時間は刻一刻と迫っていた。
そこに空きを突いてに二度寝をしようとする妻。しかし、朝は特に細部にまだ研ぎ澄まされた僕の目はそう簡単にはあざむけない。すぐさま、妻を、天使のような眼差しで見つめ、優しく叩き起こす。
お互い秒速で気が変わる
そして、朝食をの前に予め聞いておいた”パン or ごはん”をそれぞれにちゃんと確認しながら朝食作りに入る。
ちゃんと朝食のメニューを”パン or ごはん”と聞き、ご要望通りにパンを用意しても、それもまた単純な話ではない。
朝食のパンがテーブルに運ばれた瞬間に「やっぱりごはんが食べたかった」。
子供の気が変わるのは、風速どころか秒速だ。
そして僕の怒りもまた、秒速の如く噴火する。
そして、長女が朝食を食べ終わると同時に、毎日交わされる「牛乳もちゃんと飲まないと大きくならない」という各家庭のど定番の教育論で長女を刺激。
「はいはい」と、真夏の太陽に照らされたような気だるそうな態度で牛乳をズルズルと飲み干し、こちらも各家庭鉄板の牛乳ヒゲをつける長女。
それを見る度にクスッとしてしまいながらも、緩んだ顔を直ぐ様キリリと元に戻す僕。
踏み出してはならない一歩
長女の準備がある程度整ったところで、次は安定した警報機を鳴らし続ける次女を起こす。
僕「いいかげんにしろ!早く起きろ!」
次女「保育園行きたくなーwkだhsうああjhsghdぃ明日fdパwgf化s化ksh化sf茶ksj茶lks府会おうぃうfだ;おwいでゃお!!!!!!」
次女が奏でる警報機が、耳の中から脳の隅々までをスパイラルのように爆走していく。
毎朝、繰り返されるなんとも言えない煮えたぎる感情は、次第に僕の暴力的な面を”しつけ”という名の正義で塗り固めようとする。
その”しつけという名の正義”の境界線って、とてもとても簡単に越えてしまえるものだと思う。だからこそ、自分の意思でしっかりとその境界線は守らなければならない。
100%に近いくらい、各家庭では子供の頭をコツンと軽く叩くことくらいは日常的に行われていると思う。そして頭をコツンと軽く叩くことが当たり前になると、人は次の段階へと駒を進めることを考えてしまう。
それは遅かれ早かれ虐待につながる第一歩だということを、僕はいつも自覚するようにしている。
「まさか自分がそんことをするはずがない」これを鵜呑みにするほど、僕はバカではない。これは「まさか自分が病気で死ぬわけない」と似ている。
だから僕は「自分にも起こりうる」を忘れない。
僕だって、病気で死ぬかもしれないし、虐待をしてしまうかもしれない、そんな自分を自覚するように意識している。
と少し真面目な話になってしまったが、目の前の問題に話を戻そう。
警報機を鳴らし続ける次女だ。
いかに上手に次女の警報機を止めるか
【下記に⑤つのステップで解説してみる】
ステップ① 優しく起こしてみる⇒効果なし
ステップ② 怒りながら起こしてみる⇒効果なし
ステップ③ 時間を置いてみる⇒効果なし
ステップ④ もう一度、優しく起こしてみる⇒効果なし
ステップ⑤ YouTube(DVD含む)に頼る⇒効果あり
今の時代、やっぱり頼りになるのはHIKAKIN、もしくはプリンセス姫ちゃん。それか、クレしんだ。
そんなこんなで起きてきた次女。
そしてようやく、僕の仕事の準備ができる。
と、子供のことでイライラしてしまった自分の気持ちを切り替えた瞬間に………
リビングにあるオシャレなカリモクの薄汚れてしまったソファーの上で、三度寝の妻を目視で確認……
そう、僕は毎朝 妻に泣かされている。