東京とのファーストコンタクト。
同じ地球の上とは思えない ふわっとした感触が スニーカーのアウトソールを下から上に持ち上げる。
初めて味わう東京という地は僕にとって未開の地。スーッと伸びていく目の前に開かれた空間は 不安と期待を同時に僕の胸の中に放り込んでくる。
頬をかすめていく空気は いつもとは明らかに違う。
キョロキョロと揺れる視線 生唾を飲み込み 得られるだけの情報で その新しさに触れていく。
気づけば いつになく震え ギラギラとする自分の心の動きに一喜一憂しながら フワッと過ぎていく心模様をできるだけポケットに詰め込むことに徹していた。
初めての東京に着いて最初に目に飛び込んできた景色は 果てしない長さでぎっしりと並んでいる飛行機だった。
「わっ!飛行機多すぎ!」と溢した時に 興奮している自分にハッと肩を縮めた。
成田空港にいる自分が なんだかセレブにでもなったかのような気分を感じてる痛さと 少し興奮している恥ずかしさ。
トイレを済ませた後に 何度も鏡で自分の顔覗き込んだ。
フーッと息を吐き また鏡を見る。
まだ少し浮ついている足で 外に出た。
東京と成田空港は僕の中では映画の世界でしか知らない場所。
同じ空の下とは言え随分と僕を遠くまで運んできた。
飛行機を降り 川の流れに逆らうことのできない落ち葉のように 先頭の見えない人の列に沿って歩く。
「東京着いた!」とはしゃぐ子供に 勝手に仲間意識が芽生え 不思議な親近感にほっこりとした。
もしかしたらこの通路を リアムギャラガーが通ったかもしれない。
そんな風に考えただけで 妙に気持ちが高揚してくる。
それほどまでに僕は 東京に「何か」を求めているのかもしれない。
あらゆる五感に東京というキーワードを染み込ませて 「もし 何もなかったら?」という言葉を喉の奥へ流し込んだ。
羽田空港を歩く足取りはおぼつかない。
数ヶ月もの間 毎日を共にしているスニーカーであっても どこかぎこちなく 新品のスニーカーのような感覚に成り果てている
。歩く度にどんどん東京に侵食されていくみたいで 足がだいぶ重い。
東京の通路 東京の柱 東京の電灯 東京の広告看板 東京のコーヒーショップの店員 東京の少し埃っぽい空気。
タバコの煙のようなに、すべてに“東京”という付いて回る。
それだけで 僕の感覚の歯車はドクンドクンとなっているのがわかる。
東京モノレールに乗り、最初に飛び込んでくる東京は 僕の目にどう映るだろう。
一気に視界が開けるとそこには、日本の中心と言われる世界がある。
心臓の鼓動が少し早くなるのがわかる。
舞台袖で出番を待つ役者にでもなった気分だ。
それを経験したわけでもないけれど 僕の記憶の引き出しから その感覚が引っ張りだされる。シュ〜 っとドアが目の前で開く。
「ここから先に何かがあるはずだ」なんて言葉が雲のように形を変えながら 大きくなったり小さくなったり そして消えたり 現れたり。
ずいぶんと忙しい。
外に出ると、空が開けていた。
東京モノレールに乗り 最初に飛び込んできた東京の景色。
もっと色々と人の心や感情みたいに グチャグチャにビルや街が密集してるかと思ってた。
人の生活を支えているトラック スカスカの駐車場 白い雲に最高の青のコーデ。
少しだけ胸の奥にこみ上げてくる「ここが東京か」って 心の動揺はあったが まだまだだ。
期待するな 何も。何も期待するな と言い聞かせながら 目まぐるしく過ぎていく 車窓の景色に シャッターの音を落としていく。
規則正しく並んでいるかに見えた東京モノレールの座席の一部は 進行方向に向かって左右の車窓に向かい合わうように配置されている。
車窓からの見える 東京の景色をお楽しみください。
そんな風に車掌のアナウンスが聞こえくるようだ。
そんな粋なはからいに 心も足もお尻も少し浮つかせながら ファインダーを覗き シャッターを切っていく。
それぞれの日常が ただ進みながら 目的地まで止むことない電車の音に すべてかき消されていく。
新しい場所を訪れると 人は決まってその土地の風土について 思いを巡らせる。
場所、景色、食べ物、物、とか。
でも それらはすべて 6インチほどのディスプレイで調べることができる、見ることができる、買うことができる時代。
東京モノレールからの車窓から見える景色を ディスプレイで見るか 実際に自分の目で見るか。
この感覚は、令和に生まれる人たちよりも「実際」の体験という部分では、僕らの方が多く経験すると思う。
もちろん 良いとか悪いとか それは時代や進化によって 変化するものでもある。
行きたくて行きたくて切望したわけではないけど 死ぬ前に一度くらいは行きたいと願っていた場所。
そこにいる自分を客観的に観察してみると どうやら10歳は若返った気持ちでいるようだ。