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2019-03-02

同じ仕事を15年…勤続10年以上のメリットとは何かを考えてみた

「思えば遠くへ来たもんだ」武田鉄矢さんの書いた詩が ロスジェネ世代の僕の肩を優しく叩いた。

人生37年の中の仕事15年という時間

先日、勤続15年。会社の新年会で永年勤続賞を頂いた。

表彰台のステージに向けて微笑ましく「よく頑張った」と祝福を口にする各関係者。でも、その言葉が僕にはほとんど響かなかった。というか「よく頑張った」という言葉を自分に受け入れることができなかった。

「よく頑張った」という言葉を改めて考えてみると、それは国民栄誉賞と同じくらい名誉ある言葉だと思う。でもそれは絶対に僕には不適合な言葉でもあると思う。

僕は頑張ってきたわけじゃない。頑張ろうとしたけどダメだった。頑張ろうとしたけど、頑張ろうと頑張ろうと必死になればなるほど、すべてが嫌になっていった。

その挙げ句、頑張っても頑張っても結果さえも出なかった。

だからいつの間にか「頑張る」ことをやめた。

そしていくつかの季節をやり過ごしていく中で、ある時期に「楽しもう」にスタイルを変えた。

すると、楽しめば楽しむほど結果につながっていった。楽しめば楽しむほど、人生を素晴らしく思えたし生きることへの意味すらもシンプルに僕の中に溶け込んでいった。

「人生を本気で楽しめばいい」と。

僕は頑張ることがあまり好きではないらしい。というより、頑張ることが苦手らしい。だから、楽しむことが好きらしい。いや、人間は誰しもがそうあるべきなんだと気づいてしまったのだ。

だから、「よく頑張った」と褒められるよりも「楽しそうだったね」と褒められる方がしっくりくる。

ありふれた毎日を生きる時、僕らは「努力したこと」を評価しようとする。けれど本当は、「努力」という言葉が存在し得ない世界が「自分らしく生きている」という世界なんだと思う。

そこが僕らが生きるべき本当の世界。

とても繊細で、とてもキレイで、とても美しくて、そして情熱的で、すごく楽しい世界。この世界を築く本質は、「頑張る」ではなく「楽しむ」ということなのではないか。

起業家のように企業で働く

就職してから15年会社に勤めながら働き方の自由を勝ち取った僕は、起業家のように企業の中で働いている。何をしててもどこにいても、役員の方々から怒られることも叱られることもなく、ここは僕にとって神様のような会社だ。

もちろん、楽しいことだけじゃなかった。「何でも楽しんでやる!」という僕の働き方のスタイルはそれだけ敵も作ったし、それだけ中傷を浴びることも多くあった。その度に「頑張る」というスタイルに逃げたくもなった。

もちろん自分が楽しいと思える以外のことだってやってきた。でも、嫌なことを10個やるよりも、好きなことを1個やるだけで、「あなただけいつも好きなことばっかりしてずるい」という印象を他者に植え付けてしまうことに気づいた。それはとても僕の心を迷わせたことでもあったし、すごく悩み、長い夜を過ごしたこともあった。

けれど、そこでハッとしたんだ。

人から「好きなことばっかりしてずるい」と言われるということは、それだけ「自分らしく生きている」という証拠でもあるのではないか。

つまりそれは「僕が好きなことをしている」と他者は認識しているということなのだから。

僕にとってそれが青天の霹靂となった。

そこで僕は「他者評価」という人生ではなく、生きる本質を「自己評価」という人生へシフトした。

そこから僕は僕の中で飛躍していった。

それこそ順風満帆なことばかりではなかったけれど、試行錯誤に四苦八苦しながら、自分の道を切り開いてきた。

僕は基本的に世界を変えたい!とか誰かのためになることをしたい!だとか、いわゆる野心家でもないし、キャリアを求めるような人生を構築しようとは思わない。

どちらかというとキャリアという言葉に冷ややかなスタンスだ。

高島 大さんが書いた「すぐそばも幸せにできないで – 半径5メートルのレシピ-」のように、世界よりも近くにいる人をまずは幸せにしていきたいと考えている。

要は、自分のキャリアのための人生より、家族(大切な人)のために自分らしく楽しく生きる方がよっぽど自分に向いている。というか、誰にでも当てはまることだ。

要はそれをやるかやらないかなだけ。

企業の中で起業家として働いている僕だから、転職することはあまり考えていない。転職しない理由は、今の会社で好きなことをさせてもらっているからだけれど、そもそも自分の好きなことをするなら、どこの会社であっても同じだから。

今までも、そしてこれからも、会社の中で働くのではなく、僕は「自分の名前で働く」のだ。

新しい職場で心機一転!する前に、僕は勤めている会社で心機一転なことをいつもしている。そっちの方がよっぽど効率がいいではないか。

会社に不満があって退職するなんてことは一切考えたことはないし、会社への不満は自分への不満でもあるという認識なので、自分がそれを変えれなかった、もしくは変えればいいというスタンスで仕事をしてきた。

だから、単純に「給与が少ない」とか「上司が嫌い」とか「自分の仕事の内容に不満」とかがあったとしても、他の会社に行ってもそれを繰り返すだけで何も変えられないのなら本末転倒だと僕は思っている。もちろん、転職して環境を変えることが悪いと言っているわけではなく、転職する前に「ここで何かを変えよう」という意識で行動してみるのもひとつだということだ。

誰かのせいにする方が楽だけど、ほんとは自分のせいにした方がもっと楽だと僕は思っている。

それが本質。

自分の人生の舵取りを誰かに任せれば任せるほど、それが自分らしい人生じゃなくなるような気がしてならないのだ。自分よがりで自己中心的な考え方かもしれないけれど、自分の人生の選択を自分でする、自分で変化を加える、自分で責任を取る、これこそが本来あるべき自分の人生の姿であるし、人の生き方なんじゃないだろうか。

もちろんすべてを自分では変えることができないこともあるので、「できるだけ多くのことを自分らしく」というスタンスを持つことが最善なのだと思う。

環境は相手が作るものじゃなくて、自分が作るものだから。

永年勤続賞で頂いたお金はパーッと旅行で使おうと考えている。

会社に感謝。家族に感謝。僕に関わってくれているすべての人に感謝。そして自分に感謝。

生きた時間のほとんどが「大変だったな」って言葉で折り合いがつく

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一言では言い表すことができないくらいたくさんの思い出が詰め込まれていく人生の時間。

それは命を削った時間でもある。

泣いたり笑ったり誰かを傷つける嘘をついたり嘘をつかれたり目まぐるしく過ぎていく日々は、過ぎてしまえばあっという間のことなんだと気づく。そして思い出ってなんだろうと不思議な感覚にもなり、最終的には「生きるって大変だな」という言葉で落ち着き、どこからともなく湧いて出てくる安堵感に人は寄り添っていく。

思えば遠くへ来たもんだ。

この先どこまで生きるやら。

帰宅後、そんなことを考えながら眠れずにいると、となりで大口を開けて眠っている妻の姿と、小さな小さな子供たちの寝息が、いつの間にか僕を朝まで連れて行っていた。

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