2021-12-19

【後悔しない生き方】自分らしく生きるためには何が必要か

はいどうもイシハラです。

2021年6月に会社を辞めてフリーランスになったイシハラです。

いきなりですが、あなたは、自分らしい悔いのない人生を生きていますか?

自分らしい悔いのない人生とは?

ippei-ishihara

もちろん悔いのない人生なんてない!って思われるだろうけど、その”悔いの残ること”を少しでも少なくすることで、より良い人生につながると僕は実感している。それは、死んだ実の父のおかげで、100%ではないけれど、”自分の生き方”ができていると思うからだ。

今回は、僕の”実の父の死”を通して、悔いのない人生とは何か?、悔いのない人生にするためにはどうすればいいのか?ということについて、色々調べたりしながら自分のフィルターを通して導き出した”魔法の言葉”を使いながら、紐解いていければと思う。

これから話す”実の父の死”は、僕にとっては辛い過去。もちろん、僕よりも辛い経験や過去を持っておられる方は、この世界中に何千万といるだろうけど。

でも、あなたがこれから生きる人生の中で、僕が感じた【悔いのないように生きること】についての思いが、少しでもあなたの”生きること”の参考になれば幸いだし、そうなるようなアウトプットを意識して書いていきたいと思う。

海のように広い心でお読み下さい。そして、宇宙のように広く、ブラックホールより深い心でお願いします。

では、父の死から学んだ“自分の生き方”について書いて生きます

僕が0歳の時に実の父が死んだ理由

僕が0歳の時に父が死んで、それから20年たった20歳の時に、母から”父親の死の理由”について聞かされた。

実の父が死んだのは僕が0歳の時。「実の父が死んだこと」について、悲しみにふける時間さえも与えられずに生きていた。その死んだ理由を聞かされ、実の父が死んで20年もの時を経て、父がいないことへの悲しみが押し寄せた

30歳を越えた今でも、この話を思い出すと、泣きます……だから、この記事を書きながら、僕は泣いているかもしれないが、それはお気遣いなく。あなたには僕の姿は見えないのだけど。

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それでは、まずは簡単に実の父と母の紹介をしながら、”実の父が死んだ理由”を書いて生きます。

父から母への無言のラストプレゼント

当時、母も父も大阪在住で大学卒業後、二人とも◯◯銀行の銀行員として働き始めました。

その銀行にお互い勤めている時に知り合った。母と父は社内恋愛ということだ。

母から父の印象を聞いたところ、それはそれは優しくて怒らない大らかな人で、いつも笑顔で元気いっぱい!誕生日やクリスマスに限らず、よくプレゼントやおみやげをくれる人だったと聞いている。

また、父は会社の中でも、人気者で、同僚や部下から熱い熱い信頼を得ていたようだ。女性からもアプローチされることが多かったようで、母はいつも気が気じゃなかったと聞いている。

って、「そんなキモい話は聞きたくない」と、その時母に言ったのだけど。

そして、社内恋愛が実を結び、二人は結ばれ、父が26歳、母が21歳の時に、第一子が誕生。

僕だ。

しかし、こうも現実はとことん悲惨になるものだろうか。これから母と父、そして子(僕)の3人で、幸せな生活を始めようとした矢先…

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その日は、突然やってた。

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あの日、初めて経験する子育ての疲れから、母がちょっと体調を崩していたそうだ。体調が悪いので、食事もあまり取れない状況だった。

その時、母は自分が大好きだったというプリンを、急に食べたくなり、「今すぐプリンが食べたい」と父にわがままを言った。すると父はすぐに「わかった。ちょっと買ってくるから待ってて!」といって、バイクでプリンを買いに行った。

三人が暮らすアパートの近くにあるお店までは、バイクで5分ほどの距離で、買い物する時間とその往復を考えても、20分くらい。

しかし、父は……1時間経っても帰ってこなかった。

母は徐々に心配になり、なんだか胸騒ぎがして、本当に胸の避ける思いで、父の帰りを待っていたそうだ。

もちろんその当時、携帯電話などはない。

母は、とにかく父の帰りを待つしかなかった。

そして、父がプリンを買いに行って、2時間が経とうとしていた時……

自宅の電話のベルがなった。

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母は心臓を小刻みに揺らしながらその電話を受けた。すると「○○さんですか?ご主人さんの件なんですが……」との警察からの連絡だった。

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母は、気が動転していて当時のことはほとんど覚えていないそうだが、小さかった僕を両手に抱きかかえ、歩くことさえままならない精神状態で、必死にどうにか事故現場まで行った。

事故の原因は「電車との衝突事故」

事故死だった。

確かに母が見たその遺体は、ついさっきまでそばにいた愛する人だった。

目を避けたくなるほどの姿で救急車に運ばれていく、もう二度と息をすることのない父と、電車との衝突の衝撃で潰れたバイクを見ながら、僕を抱きかかえる母。

とても現実とは思えない、信じられない状況の中……

母には、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない、自分の胸を突き刺したいほどの後悔が、恐ろしいほどに襲いかかっていた。

それは、自分が大好きだったプリンたったひとつのために……

他愛もない、子供のようなわがままを私が言ったせいで……

私はこの世で一番、大切な大切な、最愛の人を……

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失ってしまった。

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悔やんでも悔やんでも悔やみきれない後悔が、母の人生を押しつぶしてしまうのは容易なことだっただろう。

母は人生に絶望した。

そして、警察の方から最後に母に渡された父の持ち物。

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それは、買い物袋の中でグチャグチャなったプリンだった。

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父は、母に早く元気になってほしいという思いだったんだろうか。

でも、少し慌てていたんだろうか。

何か考え事や不安を抱えていたんだろうか。

父は、母が大好きだったプリンを、お店で買った帰り道に、帰らぬ人になった。

母は……泣きながら、そのグチャグチャになったプリンを、

大事に大事に、最後まで食べた。

だって、そのグチャグチャになったプリンは……

父が母に渡した、最後のプレゼントだから。

それでも母は僕のために生きなければならない

当時の母の思い、死んでいった父の思いを想像するだけで、とても切なくなる。

僕が生まれて数ヶ月で、今から家族で辛いことや悲しいこと、そして幸せな人生を、一緒に歩いていこうとした矢先の出来事。命の儚さ、命の尊さ、そして人生の不平等さを、誰かのせいにしてしまいたいほど、母は自分を憎んだことだろう。

そして、大切な父の声すら、顔すらも見れずに生きていく僕に、本当に申し訳ない気持ちで、いっぱいになったことだろう。しかし、人生がこんなに悲しくても、最愛の人を失っても、僕のために母は生きなければならなかった。

そんな悲劇が起ころうと、悲しんでばかりはいられない、前を向かなければならない。母は僕のために生きていかなければならない状況にあったのだから。

母にとって僕は、絶望の中の希望だったのだと思う。

どうあがいても変えられない現実、心の真ん中に深く深くつき刺さった悲しい現実。それに母はちゃんと向き合い、僕のために顔をあげてくれた。

父が生前に言っていた「息子には自由に自分らしく生きてほしい」という言葉は、遺言となった。その言葉を頼りに、母は僕を育ててくれた。

そんな父の遺言を母はまっすぐに僕に向けてくれた。だから、ろくに勉強もせず、遊び呆けても、怒られることもなかったので、自分が楽しいと思う事だけを優先にして、僕は生きてきた。もちろん、今では「もっと勉強しろ!」と言ってくれればよかったとは少しだけ思う。それでも、その分自由にやらせてもらっているから、幸せなんだよなっても思う。

僕は絶対に母からどんなことを言われようと、どんなことをされようと、母を憎むことは決してないだろう。母が死ぬまで、僕は母の味方なのだ。

そんな母は、父の死んだ理由が”バイク事故”ということで、僕に幼い頃から「バイクには乗らないで」と、母に常々言っていた。当時僕は、なんでバイクに乗ったらダメなのかな?と、もちろんその理由を分かっていなかった。そして、母は父が突然死んだことのトラウマの影響で、僕に「行ってきます」「ただいま」の言葉や、その連絡をきちんとしなさい!と、よく言っていた。それには「人は簡単に死ぬ」という母の悲しみが詰まっているのだと思う。そんな母を見て育った僕は、少々えげつないほど、心配性な性格になっている。

と、母にはとてつもなく悲しいこともあったが、今は再婚している。そして僕は、血の繋がりのない父を本当の父のように尊敬している。というか、本当の父だと思っている。物心ついた時には、今の父だったのだから。本当に感謝しているし、血の繋がりはないけど本当に深く愛されていると感じている。

死んだ父から助けてもらったこと

死んだ実の父の記憶は僕には全くない。けれど、死んだ父が僕を助けてくれたことがある。

先述した通り、実の父は僕が0歳と4〜5ヶ月くらいの時に亡くなった。ただ、僕には全く実の父の記憶がないものだから、“父の死んだこと”については辛いことだが、死んだ父の理由を効くまではそれほど差し迫って悲しむことはなかった。でも、写真でしかその姿を見たことないし、永遠に声も聞けないし、永遠に父に触れることができないのは、本当に本当に残念で仕方がない。

そして、自分には実の父がいないという状況だからか、幾度も人生の岐路に立った時、ふと「実の父が生きていたら、どんな風に僕の背中を押してくれたんだろうか」と、寂しさや切なさ、悔しさ、そして怒りさえ覚えることはあった。

「お願い、父さん助けて」

そう呼んでも届かない、当たり前だけど、とにかく実の父に人生を示してほしいと、思う時が何度かあった。

そしてそれは、実の父が死んだ年齢と同じ、僕が26歳の時に”人生を読み間違えて、本当に人生に挫折した”時に起こった。

あの時はさすがに、気が変になっていた。

卵の梱包パックから、卵をひとつずつ冷蔵庫に移し替えようとした時に、卵を床に落としてしまっただけなのに………「僕は、卵を冷蔵庫に移し替えることさえ、当たり前にできない。生きる価値のないやつだな。」と、半ば強引に自分を”生きる”ことから、当てつけのように切り離そうとする感情が止まらなかった。

ずっと夜も眠れず、ただ漠然と真っ暗な天井を見てばかりいた。

そんなある日、母から深夜にいきなり電話がかかってきた。あれは、確か深夜4:00を過ぎた頃だったと思う。

「イッペイちゃん大丈夫か?お父さんが来てくれたみたいだよ。お父さんの伝言で、”イッペイは大丈夫だから、大丈夫だから”って言ってたよ」と、母が言うのだ。

僕の心臓がバクンッと今までにない音と振動で震えた。

いきなり突拍子もない心霊体験まがいのことを書いているが、なぜ僕がそれを信じられたのかには理由がある。

僕の妹は、小さい時から江原啓之さんとまでは言いわないが、あの世の人たちが見えるという“いわゆるスピリチュアルな妹”。妹が小さい頃、よく家族には見えない”誰か”と遊んでいることが多かったし、大人になっても、亡くなられた人(過去も含め)たちのことが見えたり、「あっあの人もうすぐ死ぬ」なんてことを言ったり、死んだおばあちゃんのことも、死んだ愛犬のことも、この世から消えた後に、その存在を妹が示してくれることもあった。

例えば、お盆になると「あっ、ばあちゃんが墓に座ってるよ」とかw

ここで、妹のスピリチュアルな経験談を語ると途方も無い文字数になるので、割愛するが、その妹のスピリチュアルを実際に肌で感じていた僕は、すぐに”死んだ実の父が来てくれたこと”を信じられたのだ。

死んだ父が僕のとこに直接来ても、一切そういうスピリチュアルな霊感のようなもはないので、妹のところへ行ったようだ。

そんな妹が、「兄ちゃんなんかあったとかな?」と、深夜4:00を過ぎにいきなり母を起こした。母が「なんで?」と聞くと、「兄ちゃんの死んだ本当のお父さんが今ここに来て”兄ちゃんは大丈夫だから、大丈夫だからな”」って話しかられたと言う。

それを聞いた母は、すぐに僕に電話をした。

……それを聞いた僕は、ただただ泣き崩れた。

「僕は大丈夫なんだ」

心から素直にそう思えた。

僕が苦しんでいる時に、実の父が初めて「お前は大丈夫だって」答えてくれた。僕は息を吹き返したように、前を向いて歩き出した。

妹は、そんなスピリチュアルとの縁もあり、今、葬祭ディレクターとして働いている。

当たり前のように明日はやってこない

僕の父は突然死んだ

それはつまり……

「まさか自分には、そんなこと起こらないだろう」

まさか自分が今日死ぬなんて誰も思わないようなことが起こったのだ。

死んだ実の父だって、まさかバイクを運転してプリンを買いに行きながら、自分がバイク事故で死ぬなんて思っていなかっただろう。

また、「自分が重い病になんてかかるわけがない」

「自分はかかったとしても、最悪な結果にはならない」

そんな風に漠然と思うことってないだろうか。

そんな風に、当たり前のように思っていないだろうか。

みんな「自分は死なない」「死ぬのは自分以外の誰か」って思っていなだろうか。

自分は死ぬわけがない。

いつものように朝が来て、いつものように陽が沈んで、いつものように夜が来て、そしていつものようにまた朝が来るって、思っていないだろうか。

でも、よく考えてみてほしい。

当たり前のように明日がくる保証はどこにもない、当たり前のように明日は来ないのだ。

そんなこと考えたら怖い!そんなこと考えてたら生きていけない!そんなこと考えてたら今日が楽しくない!とか、そう感じるかもしれない。

でも、今日、そして明日死ぬかもしれない。

だからこそ悔いのないように生きなければならない

では、あなたに質問してみよう。

あなたはいつ自分が死ぬと思っているだろうか?

それは、今日だろうか?明日だろうか?

そんなこと分かるわけない!

そう。「自分がいつ死ぬかなんて」誰にも分からない。

だけど、僕もあなたも、いつかみんな死ぬ。

それは、ドクターではない、専門家でもない僕が、100%の嘘偽りなしに約束する。言われなくても分かってますけど?って思っただろう。だからと言って、明日死ぬから「嫌だ!」「怖い!」などと、恐怖や不安にかられて生きていかなければならない!と言っている訳ではない。

そうであるならば……

「いつ死ぬか分からない状況において ー

いつ死んでもいいように生きていく必要がある」

ということを僕は言いたいのだ。

「今日死んでもいいように、人生を生きていく必要がある」ってこと。

悔いのない生き方をするために

今を生きているあなたが、「明日死ぬ」という運命だということが、前日、もしくは数日前に分かっていたら、あなたはどんな風に自分の人生について振り返るだろうか。

「いや〜本当に良い人生だったなぁ、全く後悔なんてないし、素晴らしい人生を生きました」

そう思うだろうか。

逆に、「後悔ばっかりして、いっぱい苦労したけど、小さな幸せに気づけて、良い人生だった。」と思う人もいるだろう。

また「いやだー!何にもやりたいことできてないじゃーん!悔いの残る人生にしてしまったー」などなど。

とは言え、そんなこと言ったってなんたって、あなたの人生が“明日で終わる”としよう。

あなたのこれまでの人生は、本当にどうだっただろうか?

後悔はない。悔いはない。全く無問題。

と思うかもしれない。

いや、そう思いたいという思いの方が強いはずだ。

でも、こう聞かれたらどうだろうか。

生まれる場所、経験、死ぬ場所まで、すべてが全く同じ人生を、”もう一度生きたい!”と思うか?

どうだろうか。

あの時、こうしておけば良かったかもな…

あの時、ああしてみても良かったかもな…

言い出せばキリがない!と思うことはないだろうか。

少しでもそう感じたのならば、”いかにして生きていくのか”を、ちゃんと自分に問う必要があるんじゃないかと思う。

「どんな風に生きていければ、後悔しない人生を送れるのか……」

そういう風に、自分に質問を問いかけると、人はこう答える。

自分らしく生きる

自分らしく生きていければ、それが後悔のない人生につながるのではないか。

ここでは”自分らしく=悔いのない人生”という定義づけして考えていこうと思う。また、分かっているかとは思うが、悔いのない人生において、”失敗するからしない”ではなくて、悔いが残るから”挑戦して失敗する”ことはある。だから「悔いのない=失敗のない」ではない。

それじゃ、自分らしくって何?

ちょっと考えてみよう。

「自分らしく生きるということ」

自分らしいことってなんだろうか?

自分らしいことって、何についてだろうか?

色々と思いを巡らせれば、様々な捉え方があるが………僕が実感しているところで言えば、それは「なりたい自分になること」ではないかと思う。

なりたい自分になること

「自分らしく生きている!って 胸を張れない人生は、自分らしいとは言えない」そんな極端なことを言うつもりはないけれど、それが「自分らしく生きる」ってことじゃないかなと思う。

生きていれば、色んな感情が、自分自身を折り曲げたり引っ張ったり、あらぬ方向に導いたりしてしまうことがある。または間違っているとわかっているのに、間違った選択をしてしまうこともある。そのせいで、我慢ばっかりしたり、不平不満ばっかり言ったり、今自分がいる環境を誰かのせいにしたり、そんなことをばかり言ってしまうことは、誰にでもあると思う。

でも、”自分らしく生きる”ってことを、よーく考えてみてほしい。

自分らしく生きることは、我慢をすることなのか?

自分らしく生きることは、不平不満を言うことなのか?

自分らしく生きることは、自分の置かれた環境を、誰かのせいにすることなのか?

仮に、我慢ばっかり、不満ばっかり言うことが「自分らしい」というなら、それはそれでもちろんいい。先ほども書いたように、”自分らしく=悔いのない人生”という定義の枠が正しいとは言うつもりはないので。

でも、仮にそうだと言うなら、僕に教えてほしい。

我慢ばっかりしていて、不満ばっかり言っている人生の何が楽しいのか。

もちろん、どんなに自分らしく生きていたって、どんなに幸せな人だって、どんなにポジティブな人だって、どんな人だって、嫌なことや苦労はある。だから、我慢することや不平不満を言いたくなることはわかる。

でも、そんなネガティブな感情や思い、そして否定的な意識が、自分の人生にたくさん溢れてしまったら?

あなたは、その時「自分らしく人生を生きている」と言えるのだろうか。

しかも、明日死ぬかもしれないのに。

明日死ぬかもしれないのに、”あなたの生きる今日という日”を、そんな感情のせいで、不甲斐ない1日にしてしまうのは、あまりにももったいないと僕は思う。

だから「できるだけそういう気持ちを感じないような人生にすること」

そんな風に僕は、毎日できるだけ考えて行動することにしている。極論で言えば、「自分の人生に胸を張れる1日を過ごしたい。」のだ。

明日ってあと何回来るのだろう

あと何回、明日は来るんだろう。

あなたはそんな風に考えたことないだろうか。

そんなことを考えながら生きていると、先日父と他愛もない話を電話したを後、こんなことを思う。

それはすごく大切なことを思い出させてくれる「魔法の言葉」だと思う。その言葉は「今日を変える」と思う。

僕は、母から実の父の死の理由を聞いた時、何百年も前からずっと続いている世界中の悲劇(他人事だと思っていた)とシンクロして、初めて”明日が平等じゃない”ってことに気づかされた。

明日は無数にあるわけじゃない。

明日には限りがある。

そして、それは人によって変わるもの。

僕の父のように、難病を患う人のように、他人に命を奪われる人のように、自分で命を絶つ人のように、自然の摂理で命が終わる人たち。生まれてすぐに亡くなる人もいれば、100歳以上も歳を重ねる人もいる。長生きが幸せだとか、生きる時間が長いほうが得だとか言っているわけではない。

あと何回、明日は来るんだろう。

そんなこと気にしてたら生きていけない!と、色んな人からディスられそうだが………でも、それに気づいたら、“いつもと違う今日になる”はずだ。

”今”を生きている僕たちにとって……「明日」というものは、決して平等ではない。

だけど、たったひとつ平等なことがある。

それは「生き方」なんじゃないだろうか。

自分らしい生き方は平等に与えられている。その「生き方」は、それぞれの自分の行動や意識に任されていると僕は思う。

それを踏まえた上で「明日に限りがある」と思えたら、例えばどんな”生き方”ができるだろうか。

・朝、出かける時「行ってきます」と家族に必ず言うだずだ。
・いつもよりも増して、笑顔でいられるような1日にしたいはずだ。
・その日に会う人すべてに、感謝の気持ちを持てるはずだ。
・大切な誰かのための1日になるはずだ。
・今日のうちにできることを今日のうちに終わらせようとするはずだ。
・どんなに自分がつらい状況にあっても、大切な人に「愛してる」と言うはずだ。

そして、”明日を生きるための最善の方法を探して、今日を一生懸命生きる”はずだ。

明日が来ないと分かっていたなら、今日の友達とのカラオケの時、1曲1曲をもっともっと一生懸命歌えたし、明日が来ないと分かっていたなら、サッカーの試合のパスのひとつひとつ、シュートのひとつひとつが、もっと精度の高いものになっていたし、明日が来ないと分かっていたなら、買い物の時に買ったお肉を、外国産じゃなくて国内産のお肉にしたし、明日が来ないと分かっていたなら………

たったひとつの選択が「いつもとは違う今日」になっているはずだ。

あと何回、明日は来るんだろう。

そんな風に自分に問いをかけるだけで、今日という1日が、こんなにも大切で愛おしい1日に変わる。

悔いの少ない、より豊かな気持ちで人生を生きていけるはずだ。

自分らしく後悔の少ない人生にするためのマインド

分かりやすく言えば、「明日すればいいか」ではなく、「明日のために、今日やろう」というマインドを持つことが大切だと思う。

「明日があるさ」ではなく「今日しかない」くらいの強い気持ちが必要なのかもしれない。

だからもしも、あなたが人生に迷って、人生に悩んで、人生に疲れたら、

いつかは自分が死ぬ身であるということを自覚し、どうせなら!自分らしく生きてやる!という気持ちを持つことは、あなたの目の前の闇を光するための大切な意識であると僕は思う。

実際に僕も、何度も過酷な状況に立たされた時、どうせ死ぬんだから自分らしく死んでやるという気持ちで生きている。もちろんそれは、投げやりにも聞こえる。けれど、それは投げやりではなく、僕らの「生きる」根源なのだと思う。

「虫歯になって歯が痛いけど歯医者が怖くて行きたくない」というネガティブな感情を「どうせ死ぬんだから歯医者で歯を治して、歯の痛みで苦しまずに生きてやる」という些細なことから、「夢が叶わなかったからもう未来なんてどうでもいい」という感情を「どうせ死ぬんだから、もう一度他の夢でも探してやるか」という大きなことまで、あらゆる角度で「どうせ死ぬんだから自分らしく死んでやる」というマインドは、人生を大きく変えてくれるものだと思う。

”ひとりひとり自分らしい生き方は違う”けれど、「悔いのない人生にしたいから、自分らしく生きたい」と、みんな同じように思ってるはずだ。

とは言え、悔いのない自分らしい人生を送るために、全く悔いのないように生きることは不可能だ。だって、どんなに豊かな人生を歩もうが、抱いた夢が叶おうが、そこには後悔が存在し、嫌なことだってたくさんあるのだから。

それでも、「あと何回、明日は来るんだろう。」と自分に問うことができれば、今日という日の生き方が変わり、明らかにより豊かな人生に、より質の高い人生になっていくと思う。

それはわがままになれとか、自分勝手にいきるとか、有名になるとか、金持ちになるとか、そんなことが「質の高い=幸せ」だと言っているわけではない。幸せな人生は、他人が決めることではない。あなた自身、そして僕自身が決めることだから

あなたの等身大を生きればいいのだ。

幸せの形なんてものはない。あるのは、自分らしい生き方なのだと僕は思う。

そしてあなたが ―

「ただいま」と言える大切な人に、「行ってきます」とちゃんと伝えて下さい。

それが最後の言葉になるかもしれないのだから。

あとがき

怖がらせるつもりはないのだけど、最後はなんだかホラーっぽくなってしまった。けれど、僕は実際に、家を出る時、毎日仕事に行く時もそうだし、県外や海外に家族と離れる時は決まって、妻に「行ってきます」と「愛している」、そしてギュッと抱きしめることを欠かさない。

それは妻ではなく、恋人でもそうだった。それは僕の死生観の基本。

人はいつか死ぬ。それは当たり前の運命。人は当たり前のように死ぬ。あなたも、当たり前のように死ぬ運命なのだ。だからこそ、今日をより充実した日にする必要がある。

ありがたいことに、死んだ実の父よりも、僕は長生きをしている。

もちろん、九死に一生とまでは言いませんが、「うわ!今死ぬところだった」と、何度かそういう場面にあった。今考えると、それは死んだ実の父が守ってくれていたのだと思う。

死んだ実の父の分も、僕は生きる。

明日命が終わるとしても、それは変わらない。

「生きること=長い年月」ではなく、「生きること=いかに生きるか」が、すごく大切なんだと思っている。

【追記】父の死についての記事を公開した後の世間の反響の話

他人任せにせず自分の意思を持つこと。

【追記】亡くなって30年以上経ち父に初めてLINEを送った話。

死んだ父に送った初めてのLINE

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